サントリー、ニッカウイスキー略史

公開時間:2023-09-07 14:25


日本のウイスキーといえば、サントリーは手に負えない名前に違いない。特に傘下の3大ブランドの山崎、白州、響は、各スピリッツ大会で賞を受賞して手加減しただけでなく、その名前の響きは多くのスコッチウイスキーの大物をはるかに上回っている。

サントリー傘下のこれらのウイスキーブランドの違いは、山崎と白州がシングルモルトウイスキー、響が調和ウイスキーというシンプルさだけではない。今回は、この3つのブランドについて具体的に話し、その全シリーズのお酒を紹介します。また、原酒の在庫不足に伴い、サントリーも傘下の年間ウイスキーの販売を中止したり、生産を中止したりして、徐々に無年バージョンに置き換えられている。市販されているどの酒が絶版になっているのか、消費者が最も注目していることもあり、本記事でも答えを見つけることができると信じています。

サントリー、ニッカウイスキー略史

サントリーウイスキーといえば、竹鶴政孝と鳥井信治郎の2人の名前は外せない。

竹鶴政孝は酒造の旧家に生まれ、1916年、洋酒会社摂津酒造に入社した。当時、会社はウイスキーを現地化しようとしたため、1918年に竹鶴政孝をスコットランドのグラスゴー大学(University of Glasgow)に派遣し、ウイスキーの醸造を学んだ。

残念ながら、竹鶴政孝は帰国したばかりで大不況に見舞われ、会社のウイスキー計画は夭折した。幸い、大阪の酒商寿屋(サントリーの前身)創業者の鳥井信治郎氏はウイスキー工場を建設する考えがあり、竹鶴政孝氏を招いた。

山崎マークの「奇」は「寿」に似ており、サントリーの前身である寿屋に代々受け継がれてきた理念が込められている

2人の協力のもと、山崎蒸留所は1924年に建設され、1929年に初の本格的な日本のウイスキー:白札を生産した。スコッチウイスキーのような顕著なスモーク味を持つ調和型ウイスキーだが、当時は日本の消費者に買われておらず、販売台数はかなり惨憺たるものだったと言える。

白札の失敗も2人を分岐させ、最終的にはスコッチウイスキーをモデルにした竹鶴政孝を続けたいと考え、今後のサントリーの最大のライバルである一甲グループを創設した。鳥井信治郎は、東洋人の口当たりに合うあっさりとしたウイスキーを発売し、徐々に自分のスタイルを築いてきた。1984年、サントリーは後に国際大会で何度も大賞を受賞したシングルモルトウイスキー、山崎12年を発売した。

2003年、山崎が12年にISCインターナショナルスピリッツチャレンジ金賞を受賞したことで、サントリーはインターナショナルウイスキー大賞を総なめし、世界各地で注目を集め始めた。さらに1990年代の大恐慌期には、日本のウイスキーの大規模な減産で原酒の在庫が深刻に不足し、供給が需要に追いつかない局面が形成され、サントリー傘下のウイスキーの価格が上昇し、一部の古いお酒は発売されると売り切れになり、1本買うのは天に登るよりも難しい。



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